k.hayama
不動産の仕事を三十年以上続けてきた。このサイトでは、その仕事の中で感じたことと、休日に訪れた温泉の記憶を書き残している。
はじめまして。
昼間は不動産会社で働いていますが、昔は俳優志望でした。
これは僕のサイトです。
東京在住。三つ年下の妻と二人暮らしです。
子供は二人。上は男、下は女。すでに二人とも大学を卒業し、それぞれ独立しています。
今は少し無駄に広い4LDKに、妻と二人だけの生活です。
好きなものは、たまの週末の温泉湯めぐり。
そして家の庭の芝刈りと、庭に自作したサウナに入ること。
田舎生まれの田舎育ちでした。
小さい頃から東京に憧れ、早稲田大学第一文学部に進学しました。
今思えば五木寛之の『青春の門』の影響だったのだと思います。
高2の夏に徹夜で一気読みしたのを覚えています。
憧れの東京での一人暮らしは、決して華やかなものではありませんでした。
田舎の親からの仕送りは月に10万円。
初めて借りた杉並・井荻のワンルームは家賃7万8千円。
残る生活費は2万2千円。
一日700円で暮らす計算でした。
歌舞伎町の麻雀屋で週3日の夜バイトをしましたが、長続きはしませんでした。
賭け事が好きで、仕送りを貰ったその日に早稲田のパチンコ屋に行き、1日で5万円も負けてしまうようなロクデナシでした。その時はさすがに自分の自制心の無さに情けなくて涙が出ました。それなのに、それを取り返そうと次の日もまた同じパチンコ屋に行きました。連日負けるはずはない。根拠のない賭けです。
結局、一ヶ月の仕送りを全てをスッカラカンにすってしまいました。交通費に残した千円札を握りしめ、自分の己の愚かさに途方に暮れました。貧すれば鈍す。ほぼとぼと歩く帰路、高田馬場駅前の学生ローンの看板が目に飛び込みました。借金自転車操業生活の始まり。
金借りて、ビールを飲んで、出る月賦!
田舎から出てきた仲間も、だいたい似たり寄ったりのエピソードを持っています。
西武新宿線のボケブラリー。
別の機会にお話します。
大学生だった当時はバブル景気の真っただ中。
金もないのに麻布や六本木へ繰り出し、
ブランド服が買えず、古着の革ジャンを赤く染めて理由なき反抗を気取る。
タバコとジッポを持ち歩き、西武線の車内で吸っても怒られなかった時代です。
映画のオーディションで最終選考まで残ったこともありました。
ただし合格するのは、江口洋介と織田裕二。
今思えば、出来レースのようなものでした。
去年の春から大学院を卒業した長男が東京科学大学の準教授となり一人暮らしを始めました。部屋探しから引っ越し、生活費や家具家電の用意まで、いっさい親に負担をかけませんでした。我が子なのに立派だなぁと尊敬します。
さて私の昔話に戻ります。
早大仏文科卒業後、流石に親に申し訳ないなぁという思いから、私は財閥系の不動産会社に就職しました。
平成初期、いわゆるバブル採用です。
それから約20年間、大手不動産販売会社の受託営業部という部署で、多くのデベロッパー会社に対して、企画提案から開発のお手伝いをしながら、不動産物件を世の中の需要に応じた魅力のある『売れる商品』として創り出し、時に広告代理店と徹夜でプロモーションについて語り合い、練りに練ったモデルルームを立ち上げて、お客様の顔を見ながらの接客も自分でし、最後にお客様の背中を押して販売をするというような仕事をしていました。
仲介が中心の会社の中でも、企画コンサルでフィーが取れるという、花形の仕事をしているという誇りもありました。
気づけば二十年の月日が流れ、いつの間にか自分も年を取り、五十代になっていました。
受注先のデベロッパーの担当者が、二十歳そこそこの新卒社員だったりする。
自分よりずいぶん若く、それでいて発注者という立場の彼らに、こちらが頭を下げて仕事をいただく。
その頃には販売チームを管理する立場の責任者になっており、
売行きが芳しくない現場では、
「こちらの売り子の力が足りず、申し訳ありません」
と、自分より年上の現場責任者を連れて、若い売主担当者のもとへ詫びを入れに行くこともありました。
そして、その帰り道。
今度は身内であるはずの現場責任者から、
「テメぇ、さっきの『売り子』って言い方はねぇだろ」
と、怒鳴られる。
――お前の働きが悪いから、代わりに頭を下げてやったんだ。
そんな言葉は飲み込んで、
ただ、心の中に積もっていく何かを感じていました。
この仕事を嫌いになったわけではありません。
けれど、面倒なしがらみを背負い続けることに、次第に疲れていたのだと思います。
いっそ面倒なしがらみを捨てて、自分で用地を仕入れて、自分の好きなように自由に開発してみたいという思いが日増しに強くなりました。
程なくして私は都内の小さなデベロッパーに転職しました。
鶏口牛後。開発部長を任され、気づけば15年が経ちました。
分譲マンションや戸建ての開発、モデルルームでの分譲販売、投資マンションの開発からリートへの売却、管理、収益物件の保有等、不動産開発に関するあらゆる業務を経験してきました。
プライベートでは都内の自宅のほか、東京、名古屋、大阪に貸家を所有しています。
このサイトでは、不動産の仕事を通じて感じたこと、
そして休日に訪れた温泉の記憶を「湯めぐり」として書き残していきます。
幸せだったことも、不満に感じたことも、率直に。
もし、ここに書いた言葉のどこかが、
読んでくださった方の人生の一助になれば、
それ以上に嬉しいことはありません。
2026.1.20
k.hayama
